2020年1月26日日曜日

リーマス断薬5年半

2020年、あけましておめでとうございます。
といいつつ、今年は正月休みは忙しく、このブログを更新するのは1月末になってしまいました。
昨年を振り返ると、まさに最高の年といえるのではないかとも思えるのですが、別の見方をすると、実は躁だったのではないかとも思える節があります。しかし、うまくコントロールされた躁というのは、脳内がエンドルフィンやらドーパミンで満たされて、実はそれこそが最高の状態ではないかともいえるのではないでしょうか?精神科の医師に言わせると、それはいつかまた鬱に陥る前兆だからほどほどが肝心などと、したり顔で諭されたりするわけですが、リスク管理に熟達すれば、ずっと躁を保てるのではないかという気もしてきました(笑)。絶好調の時にどこらへんでやめておくかを考えるのはなかなか難しいところがありますが、失敗しても取り返しのつかないレベルにはいかないようには気を付けながら、快楽の限界を少しずつ打ち破って新しい世界に踏み込んでいくのはありなのではないかと思うようになってきました。
10年前に、初めて「鬱」と診断されて、SSRIを飲んでも全く効かなかったときに、ようやくたどり着いた「効く」薬がアナフラニールで、適度な運動療法と組み合わせることにより、劇的に改善していったことを思い出します。その改善が効きすぎて、あらゆることがうまくいくような気がするようになって、リスクを顧みずに緻密なプランも立てず大胆な行動に出て行ったのが、「躁鬱」と診断されたきっかけです。
思うに、「躁鬱」と診断される人は、生来的に「リスク」を取りたがる遺伝子が人よりも多く活性化されているのではないかと思っています。リスクをとることは成功するための重要なファクターなので、「躁鬱」の人に社会的な成功者が結構多いのにはうなずけるように思えます。おそらく、鬱状態に陥っていた時に。極端にリスクにセンシティブになり、ネガティブ回路ばかりが働いていたのを、そのネガティブ回路の配線を断ち切ってくれたのが、アナフラニールと運動だったのでしょう。本当に必要だったのは、そのネガティブ回路を断ち切るのではなく、正常なレベルに戻し、妥当な範囲でリスクをチェックして判断材料に加えるというプロセスを回せるようにすることだったはずです。
しかし、リスクアセスメントは言うは易く、現実にはかなり難しいですね。リスクがゼロではない場合に、リスクをとるかどうかの判断は、往々にして「確率的に、自分はリスクを回避できるだろう」と主観的に判断して、GOの判断をしてしまうことです。確かに確率的には高くなくて、結果オーライでうまくいくケースも多いでしょう。しかし、本当に必要なのは、「確率的には低くても、万が一運が悪かった時に、その悪影響はどこまで及ぶかを事前にアセスメントしておくことです。それが壊滅的であれば、やはり踏みとどまるという判断をすべきであり、それこそが、「ほれ、リーマスやめたからそんなことになったんだよ」と嘲笑されることを防ぐ、最後の砦となるのです。
では、壊滅的なことになるとは具体的にはどういう状態でしょうか?ものの本には、破産、失業、離婚、自殺など書いてありますが、これも世の中の状況で変わるでしょう。一昔前までであれば、勤務先をやめることになればそれは取り返しのつかないことだったケースが多いと思いますが、昨今では、中高年の転職は珍しいことではなく、実力さえあれば、新しい天地は開けそうです。したがって、「命」さえ奪われなければ、リスクをとって、人生における満足度の期待値を最大化するための行動に踏み込むのは、理にかなったことといえるのではないでしょうか?どこまでが命に係わるかは、医学をはじめ、さまざまな社会状況に関する体系的な知識を必要とします。ますます、学ぶことこそが、人生の満足度を最大化するためのツールであることを再認識させられたとともに、学ぶという行為自体により脳内のドーパミンとアドレナリンが幸福感をもたらすという好循環を作ってくれている気がします。これこそが、相乗効果による人生の満足度最大化の方程式ではないでしょうか。