2013年2月6日水曜日

退職所得控除の勤続年数依存性はなぜ?

最近、地方公務員の退職金引き下げに伴う、駆け込み退職が話題となっているが、退職金の計算式を見直すこと以上に、退職金にかかる所得税の仕組みをもっと見直す必要があると思う。

自分は、15年ほど前に一度前の会社を辞めており、その時に、退職金にかかる税金の計算式を調べた。

そこで、退職金にかかる所得税は、普通の給与所得とは、別建てであることを初めて知った。そこで分かったことは、

  1. 退職所得は、一般の給与所得に比べて税制面で得になるように設計されている。
  2. 退職所得に対する税金は、勤務年数が20年を越えると、さらに得になるように設計されている。
 1.に関しては、給与を支払う会社としては、全額給与として支払うよりも、一部を退職金の積立として社内に留保しておき、退職時に退職金として支払った方が、会社の支出に対して、社員の手取り額を最大化できることを意味している。

退職金に対して、犯罪などによる懲戒免職の場合には支払わないという規程を設けておけば、社会的な犯罪率低減効果があると言える。

2.に関しては、何か合理的な説明がつくだろうか?これは、明らかに、個人に対してできるだけずっと同じ法人や役所で働きつづけることを促すインセンティブとなる。 逆に、転職をすることはペナルティを課すことに等しい。

この制度は、社会全体にとってプラスの効果をもたらしうるだろうか?おそらく、真逆であろう。人材の流動性の乏しさが、今の日本の閉塞感を産み出す一つの要因となっているなかで、税制で同じところで長く働きつづけた方が得であるという制度を野放しにしておいてはいけない。

実は、その15年前に、当時の大蔵省あてに、退職金の所得控除を勤続年数に対してニュートラルにすべきであるとの意見書をメールで送った。忘れた頃になって、「貴重なご意見有難うございました」という返事が来て驚いたが、結局、当時から制度は変わっていないようだ。

想像するに、大多数の公務員は、この制度の維持によって得をする側にいて、たとえ、税体系として合理性を欠いていたとしても、損する方向には変えたくないというところだろうか?

10年ほど前に、一時この問題が新聞で取り上げられたことがあり、自分の意見が採用されたかと期待したのだが、尻すぼみになってそれっきりである。

非常に小さいことのように見えるが、その税体系がすっきりと美しい、きちんと説明がつくというのが、活力の源である。ぜひ、この機会に議論の俎上にのせて、あるべき形に改正してほしいものである。

2013年2月5日火曜日

車検忘れと自動車重量税

メールを読んでいて、ふと、妻の使っている車の車検が切れたのではないかと気づき、あわてて車のダッシュボードへ車検証を見にいくと、案の定、車検が切れてほぼ2週間であった。自賠責は1ヶ月余裕が見てあるようで、あと2週間有効である。

どうしたものかと、ネットを探ると、しっかりと解決策が載っており、自分の場合は、市役所で仮ナンバーを取得して、有効期限の5日間の間に車検をすませればOKのようであった。早速、市役所へ昼休みに行って、750円で仮ナンバーを借りてきた。5日間しか貸してくれないので、その間に車検ができるかは、いつも車検をしているガソリンスタンドに電話をして、平日であれば空きがあることを確認した。

昔、民間の整備工場で車検を受けていたときは、車検の時期になると案内のハガキがきていたのに、ガソリンスタンドに変えてから、事前案内が来なくなった。お得意様に案内を出すような儲かる商売ではなくなったのであろうか?

確かに、代行で行う業務も多い。自動車重量税の徴収や、自賠責の徴収もその一つだ。

自動車重量税は、いまだに廃止にならない。既得権の最たるものであろう。思えば、地方の人間にとっては、自動車が生活必需品であることを考えると、このような自動車への重税は、地方の住民いじめとも言える。

地下鉄、JR、私鉄各線で簡単に移動できる東京住民は、車を所有しないことによって、この重税から逃れることができている。

自動車重量税の廃止に抵抗しているのは、地方に道路を作りたい建設会社だけでなく、案外、それと利害を一致させている中央官庁の役人を含む、東京の住民かも知れない。

2013年2月3日日曜日

医師の需要は伸びるか?

最近の高校生の医学部人気は、以前にもまして急上昇中とのことである。自分が高校生であった1980年代から、特に田舎の方では、理科系で優秀な生徒は医学部へいくという期待や、お決まりの「流れ」みたいなものがあったが、ここ数年の、国内有力製造業の凋落ぶりとそれに伴う、40代以降の社員へのリストラ報道などを見て、少なくとも食いっぱぐれの無い「医師」への志望は、特に高校生を子供に持つ親の世代の子供への期待として顕著らしい。

また、同じ研究者になるにしても、いざとなれば、医者に戻ればいいという安心感を持って、分子生物学の研究をするのと、公的なポジションを得ることができなけらば、食いっぱぐれるという不安感を抱きながら、素粒子物理学の研究をするのとでは、精神衛生に大きな違いでるのが予想されるので、「医師」の資格を持ちながら、研究者の道を進むのは「オイシイ」ような気がする。

先日、高校の同窓生との新年会があったのだが、学校柄、医師は多い。皆、不満を言えば切りは無いだろうが、それぞれ現職に満足しているように見えた。少なくとも、「負け組に入ってしまうリスクは無い」という感覚が、彼らの幸福感に寄与しているように思える。

さて、医師の繁栄はいつまで続くのだろうか?

自分の予想では、20年後をピークにグッときびしいものになるだろうというものである。これは、人口動態変化に基づく予測である。今、65歳くらいの団塊の世代が最期を迎える15~20年後に医療費がピークを迎え、その後、老人数の減少とともに、医療業界の淘汰が始まるという構図である。

病院は生き残りのために、アジアの富裕層の医療ツーリズム客を呼び込むために、技術、宣伝、接客に磨きをかけ、国際空港周辺に立地する病院は繁栄する余地を残すであろう。「神の手」を持つ外科医は、破格の待遇でひっぱりだことなるだろう。

さて、「最低でも食いっぱぐれは無い」はずの、低レベルの医師はどうなるのであろうか?公的病院の勤務医は、公務員であるから、公務員に当てはまるはずの身分保証が当てはまるのであろう。ただし、開業してやっていく自信の無い中高年医の巣窟と化すであろうから、だんだんと客足が遠のき、一部の中核病院を除いた公的病院は閉鎖せざるを得なくなるだろう。

というわけで、何が何でも医師、医師になれば食いっぱぐれはない、という神話は、あと20年で終わるというのが自分の未来予測である。

おそらく、僕の同級生の医師たちは安泰であろう。しかし、子供の世代の職業選択では、そういう観点での選択は、あまり意味の無いものになっているに違いない。

結論としては、需要の伸びに期待して子供に医師になるように導くのは間違いである。子供には、みずから世界観、価値観を持たせて、自分の能力の特性に合わせて職業を選択させ、かつ、時代の流れに合わせて柔軟に職業を変えていけるような能力をつけさせることが重要である。