2020年8月16日日曜日

リーマス断薬6年

 毎年、正月と盆に書いている経過観察ブログですが、今年もあっという間にお盆となりました。結果から言えば、新型コロナウイルスのせいで生活が一変したにもかかわらず、精神状態は変わらず、むしろ、通勤のストレスが減ってより安定したというべきかもしれません。

3月に一度、自宅で本格的に仕事ができるようにいくつか荷物を取りに会社へ行ったきり、一度も顔を出さず、電話会議とメールで仕事を乗り切っているので、これは実に快適です。自分だけが電話でほかの連中はみんな会議室というこれまでに状況では、なかなか議論をリードすることは難しかったのですが、全員が自宅からコールインしている状況では、ほかの連中がこそこそと内輪で内緒話をして決めてしまうというわけにはいかなくなるので、発言の論理性と説得力だけがものを言い、圧倒的に自分に有利な状況になってきました。議論をリードしてこちらの思い通りに結論を導くというのが、脳内に大きな快感をもたらすということを再認識することができた実に有意義な機会を与えてくれたというべきでしょう。

人と会うことを避けるために、半年に一度言っていた歯医者の定期検診もパス、3カ月ごとの眼科の検診もパス、毎月の床屋は、バリカンをネットで購入して自分でカットすることにしたので、もはや、4カ月いっていません。週末は読書とアマプラのTVドラマシリーズにはまっています。

ワクチンが完成して普及し、元の生活に戻るまではあと1年はかかるでしょうが、テレワークができて仕事に差し支えなければ、精神的には実にいい状態なのでしょうね。懸念された自殺者数も少なくとも4月5月は前年比大幅に減ったみたいですし。精神科の外来患者数も減ったのかなぁ、ちょっと興味ありますね。

2020年1月26日日曜日

リーマス断薬5年半

2020年、あけましておめでとうございます。
といいつつ、今年は正月休みは忙しく、このブログを更新するのは1月末になってしまいました。
昨年を振り返ると、まさに最高の年といえるのではないかとも思えるのですが、別の見方をすると、実は躁だったのではないかとも思える節があります。しかし、うまくコントロールされた躁というのは、脳内がエンドルフィンやらドーパミンで満たされて、実はそれこそが最高の状態ではないかともいえるのではないでしょうか?精神科の医師に言わせると、それはいつかまた鬱に陥る前兆だからほどほどが肝心などと、したり顔で諭されたりするわけですが、リスク管理に熟達すれば、ずっと躁を保てるのではないかという気もしてきました(笑)。絶好調の時にどこらへんでやめておくかを考えるのはなかなか難しいところがありますが、失敗しても取り返しのつかないレベルにはいかないようには気を付けながら、快楽の限界を少しずつ打ち破って新しい世界に踏み込んでいくのはありなのではないかと思うようになってきました。
10年前に、初めて「鬱」と診断されて、SSRIを飲んでも全く効かなかったときに、ようやくたどり着いた「効く」薬がアナフラニールで、適度な運動療法と組み合わせることにより、劇的に改善していったことを思い出します。その改善が効きすぎて、あらゆることがうまくいくような気がするようになって、リスクを顧みずに緻密なプランも立てず大胆な行動に出て行ったのが、「躁鬱」と診断されたきっかけです。
思うに、「躁鬱」と診断される人は、生来的に「リスク」を取りたがる遺伝子が人よりも多く活性化されているのではないかと思っています。リスクをとることは成功するための重要なファクターなので、「躁鬱」の人に社会的な成功者が結構多いのにはうなずけるように思えます。おそらく、鬱状態に陥っていた時に。極端にリスクにセンシティブになり、ネガティブ回路ばかりが働いていたのを、そのネガティブ回路の配線を断ち切ってくれたのが、アナフラニールと運動だったのでしょう。本当に必要だったのは、そのネガティブ回路を断ち切るのではなく、正常なレベルに戻し、妥当な範囲でリスクをチェックして判断材料に加えるというプロセスを回せるようにすることだったはずです。
しかし、リスクアセスメントは言うは易く、現実にはかなり難しいですね。リスクがゼロではない場合に、リスクをとるかどうかの判断は、往々にして「確率的に、自分はリスクを回避できるだろう」と主観的に判断して、GOの判断をしてしまうことです。確かに確率的には高くなくて、結果オーライでうまくいくケースも多いでしょう。しかし、本当に必要なのは、「確率的には低くても、万が一運が悪かった時に、その悪影響はどこまで及ぶかを事前にアセスメントしておくことです。それが壊滅的であれば、やはり踏みとどまるという判断をすべきであり、それこそが、「ほれ、リーマスやめたからそんなことになったんだよ」と嘲笑されることを防ぐ、最後の砦となるのです。
では、壊滅的なことになるとは具体的にはどういう状態でしょうか?ものの本には、破産、失業、離婚、自殺など書いてありますが、これも世の中の状況で変わるでしょう。一昔前までであれば、勤務先をやめることになればそれは取り返しのつかないことだったケースが多いと思いますが、昨今では、中高年の転職は珍しいことではなく、実力さえあれば、新しい天地は開けそうです。したがって、「命」さえ奪われなければ、リスクをとって、人生における満足度の期待値を最大化するための行動に踏み込むのは、理にかなったことといえるのではないでしょうか?どこまでが命に係わるかは、医学をはじめ、さまざまな社会状況に関する体系的な知識を必要とします。ますます、学ぶことこそが、人生の満足度を最大化するためのツールであることを再認識させられたとともに、学ぶという行為自体により脳内のドーパミンとアドレナリンが幸福感をもたらすという好循環を作ってくれている気がします。これこそが、相乗効果による人生の満足度最大化の方程式ではないでしょうか。


2019年8月4日日曜日

リーマス断薬5年

このタイトルで半年に1回状況のアップデートを続けて、これで5年となりました。お薬手帳を見ると、最後にリーマスを処方されたのが2014年7月なので、一つの区切りとなる5年を迎えたことになります。考えてみるとあっという間のような気もしますが、時のたつのは早いものです。
この半年は、5月くらいまでは昨年来の快調を継続していたのですが、6月くらいから、イライラ感が増した気がします。仕事のプロジェクトがクライマックスを迎えて、自分の思い通りに行かないと、カッとなって他人を罵倒してしまっている自分があることに気づいたりします。内海健先生の「うつ病新時代」のエピソードと比べると、躁状態であるといっても、あながち間違いとは言えない状況かなと時々思ったりします。発言が攻撃的になることがあり、もしかしたら、周りの人からは引かれているかもしれません。
テレンバッハが「インクルデンツ」と呼んだ閉塞状況に陥って、窒息状況に陥っているのかもしれません。おそらく何かの気分転換をすれば落ち着くような気もするのですが、仕事から離れると置いて行かれるような焦燥感があり、それも気が進まないようにも思えます。
神田橋條治先生の「気分屋的に生きれば、気分は安定する」という標語に従って、深く考えないようにしましょう。過去を悔いることが最悪の状況を招くことを経験で知っているので、済んだことはしょうがないと前を向くしかありません。
とりあえずは、「5年生存率半分以下だぜ」などと冗談を言っていたその5年が無事すぎたことに乾杯!

2019年1月14日月曜日

リーマス断薬4年半

明けましておめでとうございます。
と言いつつ、2019年もすでに2週間経ちました。
昨年1年間の精神状態を振り返ると、落ち込むということが全くなく、きわめて健全に、軽躁ともいえるべき状態を継続できたのではないかと思っています。

仕事が忙しかったということもありますが、コントロールできる仕事というものは、精神にはポジティブに働くものと考えています。特に、自分が好きで得意とする仕事に没頭しているときには、いわゆる「フロー」状態となって、時間のたつのも忘れて今います。さらに、いい結果が得られた瞬間には、達成感と喜びと興奮が一度に訪れて、この上ない幸福感に包まれます。

他人のせいで、仕事の進捗が邪魔されたと感じた時には、若干攻撃的になったときもあったかと思いました、これは、躁鬱の躁状態の事例としてよく本などでも引き合いに出されることですが、今回は、完全に感情を抑えた形で理性的に指摘することで、後から考えても完璧に乗り切ったといえるのではないかと自負しています。

こういうハイなときの注意点は、金遣いが荒くなる点ですが、この点に関しても、大金を使う代わりに、借金を一度に返済して、「大金を使った」気分を味わいながら、利息の返済を減らすという芸当を成し遂げることができました。

生まれながらのポジティブな軽躁に戻って、絶頂感を味わいながらも、引き続き自分観察を怠らず、コントロールしてまいりたいと思います。

とはいえ、とある計算プログラムの改良で、3時間かかっていた計算が30秒でできるようなったときの興奮はなかなか忘れられません(笑)

2018年8月20日月曜日

リーマス断薬4年

この夏で、リーマス断薬後、4年を迎えました。リーマスを服用していた期間は、3年8カ月程度なので、やめてから飲んでいない期間のほうが服用期間よりも長くなったので、もはや、「断薬」という言葉がふさわしいのか疑問です。
もともと飲む必要もなかった人間が、ひょんなことから飲む羽目になり、また飲まないことになったというほうがすっきりくるのかと思います。

この半年強の間は、精神を持ち崩すことは全くなく、ほとんど平穏に暮らすことができました。その秘訣は、何事も余裕を持って対処するように努めたということでしょうか。

躁のときに作った借金を3/4返してしまったというのも、精神的なゆとりにつながっているかと思います。本当にここまで立ち直れるとは思わなかったよなぁ(笑)

精神に異常をきたしていた時に迷惑をかけた人、お世話になった人にそれぞれお礼をして回っていたのですが、今年の夏、「この人にはお返しをしなければ」と思っていた最後の人に会うことができて大きな肩の荷が下りた気もします。

このあとも、何事もなく過ごせればいいのですけどね(笑)

2018年1月3日水曜日

リーマス断薬3年半

2018年あけましておめでとうございます。

前回のブログに書いたとおり、昨年は、上半期に一時的に不安が昂じ、抗不安薬と眠剤のお世話になりましたが、その後、夏以降は落ち着いて、薬に頼ることもなくゆったりと過ごすことができました。

とりあえずゆったりと過ごせた理由は、おそらく、仕事のほうが大きなプレッシャーも無く、コントロールできたということが大きいと思います。やはり、「自分でコントロールできている感」というのは、精神の安定に対する影響が大きいよなと、いまさらながらに実感した次第でした。

年末に大掃除で腰を痛めて、軽く見ていたら、痛みが長引いて少し落ち込んでいます。痛みがあると、正常にものが考えられなくなって、腰の痛みがあるくらいなら、精神の痛みがある方がまだましなどと、昔のひどい落ち込みも忘れて、とりあえず楽になりたいばかりに悪魔の取引みたいなことを考えてしまいます(笑)。もういい年なので、メンタルヘルスに気をつけるだけでなく、身体のメンテナンスにも気をつけないといけないと自覚した新年でした。

2018年が読者のみなさまにとっても幸多い年でありますようにお祈りいたします。

2017年8月15日火曜日

リーマス断薬3年

今年も、お盆休みがやって来ました。昨年までは、実家を訪れるケースが多かったのですが、今年は、大学生になって家を離れた息子が帰ってくることになったので、自宅こそが実家という位置づけとなり、自分は家にいることにして、のんびりと過ごしています。

今年の夏で、リーマスをやめて丸3年となったわけですが、今年の上半期には、ちょっと精神状態を持ち崩し、急遽、ほぼ3年ぶりに以前の精神科の主治医に相談するケースが発生しました。とある会話をきっかけに不安感が亢進して、不眠と不安感が続き、仕事の潤滑な継続に差し障りが発生しそうだと気づいたことと、以前、再度鬱に落ちいったときの初期症状によく似た症状であったので、大事をとって、主治医に相談してみることにしました。結果、睡眠薬と抗不安薬を処方してもらい、ほぼ、一ヶ月ほどかけて、徐々に落ち着き、その後、また一ヶ月ほどかけて、徐々に薬を減らして、再度、薬なしの状態に戻りました。リーマスをやめないほうが良かったかと不安になって、再開したほうがいいでしょうかと主治医に尋ねたのですが、リーマスは即効性がないのと、一旦、リーマスは効かないと思った人が飲んでも、あまり効果が期待できないということで、リーマスの再開はありませんでした。結局、リーマスの効果は、プラセボ効果としての効き目のほうが大きいと主治医も思っているのではないかという気がしました。

というわけで、結果的に「リーマス断薬3年」は達成できましたが、心身の不調をきたした時には、対処療法的に眠剤等の処方で乗り切っていくという形になるのではないかと思っています。双極症という症状を根本に持っていると、鬱状態から上がって行く時には、昨日の自分よりも良くなったと実感できて快適に過ごせるのですが、停滞状態に入ってしまうと、双極症の特性としての「停滞を嫌う」という性質上、必ずしも悪い状態ではないにしても不快に感じてしまうのかもしれませんね。「停滞を楽しむ」といえる心境になりたいものです(笑)。